第9回 '91三浦国際市民マラソン

1991年3月3日(日) 晴れ
種目:ハーフマラソン
記録:1時間19分52秒 総合91位

    
1Km3:473:47
2Km7:453:58
5Km19:2712:4219:27
10Km37:5318:2618:26
15Km57:4219:4919:49
16.1Km1:01:393:57
21.1Km1:19:5218:1222:09


 疲れた。何しろ疲れたレースだった。本当に疲れ、暫くは何もできなかった。しかし頑張れば結構できるものであると思った。ラストの1キロなどは本当にダッシュのラストスパートだった。ほんとに疲れた。


 起床はちょっと予定より遅れてしまった。出発は6時に予定していたが、10分ほど遅れてしまった。天神橋まで歩いて行くと、目の前をバスが行ってしまった。ショック。それは横浜行きの始発のバスだった。次のバスまで10分程待たされる事になってしまった。上大岡までは15分程。上大岡からは順調で、三浦海岸行きの臨時特急にうまく間に合い、座って海岸まで行く事ができた。駅には7時35分頃到着。周りを探したが誰もいない。そのまままっすぐ海岸へ行ってしまった。

 すぐに受付を済ませる。ハーフの部はまだまだ空いていた。最近の受付方式は全てコンピュータ登録方式になっており、登録カードで名前とゼッケンを登録するようなシステムになっている。どこでも登録できるので、決められたところへ並ぶ必要が無い。

 その後は拠点探し。いつものゴール付近に場所を確保。今年は良い天気なので海岸でも辛くない。昨年はちょっと寒過ぎた様だった。暫くのんびりとする。例年の事ながら三浦マラソンは海岸でいろいろな催しが行われる。人集めがうまい。

 今年は例年より各スタート時間が20分ほど早まっており、--たぶん警察の方からの要請であろうか。交通規制にからむ事だろう--5キロのスタートはだいぶ早く、8時40分になっていた。のんびりとアップがてらトイレを探していたら、あっという間に5キロの部がスタートしてしまっていた。

 5キロがスタートすると、ハーフの部のスタートまでは1時間。ぼちぼちとアップを始める。三浦マラソンのスタートは自己申告制であるだけに、それ程並び方はきつくはない。横からもぐり込めば大丈夫なので、少々のんびりとできる。

 それでも9時20分には全て切り上げ、スタートの準備をする。天気はいいが、やや風が冷たいので手袋はして行く。それに両脇の下、太ももには擦れて痛いところなので、ワセリンを良く塗る。サロメチールは両足にたっぷり、膝にも良く塗った。

 スタート地点には10分程前に向かった。皆順序良く並んでいたが、結局後から来た人がだいぶ前の方へ来てしまった。そういう連中に限って遅いものである。迷惑である。

 30秒ほど前からスタート地点までゆっくりと歩く。横浜式のローリングスタートである。9時40分、定刻にスタートが切られる。だいぶ混雑してしまった。スタート地点まで数秒かかってしまったが、その後はほぼ問題なく走れる。スタート時やや遅かったペースも、200~300m行き、トップスピードまでもって行った。

 海岸通りをまっすぐ行き、そろそろ道なりに左に曲がる辺りが1キロ地点。三浦マラソンもきちっと距離表示がされている。コースも公認コースだそうである。ここで3分47秒。速過ぎもなく、遅過ぎもなくちょうど良いタイムというところであった。天気も良く、コンディションも最高というところで、良いレースの始まりとなった。

 とりあえずの第1関門はパス。次は急坂の取り付き、役場下である。例年のタイムからして、6分30秒くらいがいいところと言える。昨年は6分40秒、数年前の良いタイムの時は20秒台であった様だ。

 ひと山越えて--これもなかなか厄介な坂である--右にカーブ、そこから数100mで役場下、6分45秒、約3分、700m弱というところだ。ここもそれ程悪くはないだろう。という事で通過。そして急な上り坂となるわけである。

 ここから暫く--どれくらいあるのか距離は考えてみた事はないが、何しろ暫く続く--急な上りである。ここで予定どおり、スピードの落ちた連中をごぼう抜き、だいぶ順位を上げる。

 上り始めてすぐ久里浜高校の女子高生に混じって、月例のいつもの女の子--若林さおりさん、女子2位に入賞であった--がいた。難なくパスする。

 上りきったところでひといき入れる。上りの途中に2キロ地点。そこを通過し、暫く行ったところで、時計の8分の合図が鳴った。2キロは7分45秒程度であった様である。ひと息入れたが、それで上りが終わったわけではない。まだまだ大根畑の中、アップダウンは続く。

 県道だろうか…片側交通規制された道路を数100m通り、よく見慣れた松輪入口の信号を過ぎると、4キロ地点があった。ここで確認したタイムは、15分40秒過ぎだった。これもまずまず予定どおりだろう。

 ここを通過すると再び応援のある地域に出る。給水所もある。しかしこれは復路用で、場所は反対側、ここでは取らない。この辺りは曲がりくねったところが多く、人家を通り過ぎてしまうとすぐ畑が広がり、やっと5キロ地点になる。予定では19分台のつもりだが…時間はまだ19分台、49秒で通過。ここまでは全く予定どおり。コンディションも良いので思った様に走れる。

 5キロの先、岩堂山頂上のすぐ下に給水所。ここは昨年9月に三浦トライアスロンでコース管理をやったところ。お陰でこの辺りだけはコースを良く憶えている。水を取り、ひと息ついて上り切ってしまえば、あとは城ヶ島まで下りひと筋である。ここからペースを上げ、また調子を上げて行かなければ…。例年10キロポイントはタイムが良い。今年も予定では38分くらい。あわ良くば、37分台も出るかと思っているところである。下りなので特に難しいところは無い。

 岩堂山の頂上では、今日は天気が良いので富士山や大島などが良く見えるだろうなどと考えていたが、今年は景色を見ている余裕も無かった。ただひたすら前を見て走るだけだった。今年はひとつの目標があって--100位以内に入賞し、翌日のスポーツニッポンに成績上位者として載るという事--順位を上げていくのに一生懸命であった。

 この下り坂でもペースの落ちた人達を何人かとらえられ、いくつか順位を上げた。自分ではだいぶ上位まで上がってきているつもりだった。下りで勢いを付けそのまま城ヶ島まで行ってしまう。

 城ヶ島大橋の入口では32分台、これも例年どおり。8.5キロ地点くらいになるのだろう。橋の上では少々余裕も出てきて、周りも見渡す事もできた。とてもきれいな景色だった。

 橋を渡り切ると、ぐるりと下り坂をひと回り。回ったところに給水所、水を1杯。ここで何やら女性アナウンサーが喋っていた。テレビカメラが回っていたのだろうか…。映っているだろうか。

 給水をし終わり、真上に大橋が有る辺りでトップとすれ違った。先導は女性のホワイトエンジェルス、それしか見なかった。ランナーは誰でも良かった。雪印のランナー2人との事だった。私は見なかった。

 その先、楽しみな10キロ。タイムは37分53秒、ずいぶん良い。この5キロ--殆んど下り坂ではあるが--ラップは18分26秒でカバー、絶好調である。土産物屋の中を通過し、今度は右に折れて復路へと向かう。

 中間点の、およそ10.5キロ地点では、ちょうど40分のアラームが鳴った。同じタイムで行って1時間20分が切れる。帰りも後半下り坂だから、大丈夫だろうなどと安易な考え。

 折り返してちょうど往路とぶつかったところに西山が来た。羽生とはちょうど私が先頭とすれ違った辺りですれ違った様だ。羽生が声を掛けたが返事は無かったと言っていた。私は分からなかった。佐藤、萩原とは大橋を上りきった真ん中辺りですれ違った。こちらはよく分かった。

 大橋を通過してしまうとひとまず上りは終わり。あとは14キロ地点辺りからのダラダラ上りと岩堂山しかない。上りに差し掛かり前を行くランナーを、いつもの様に次々ととらえて行く。スピードは殆んど落ちていない。

 15キロ地点(残り6キロ)より少し前辺りで、見慣れた走り方のランナーがいた。ユニフォームを新調した樹脂の斉田氏であった。上りに差し掛かり、かなりばててしまっているようであった。ひと声掛けてあっという間に追い抜いて行く。付いて来るかな、などと思ったが、その気配は無かった。何度か後ろを振り向いたが、影すら無かった。

 上りの途中の15キロ地点は57分52秒。10キロから15キロのスプリットは19分49秒。上りの続く中、まずまずのペースと言って良いだろう。岩堂山を上りきってしまえば、あとは殆んど下りしかない。ここから更にスピードアップを図った。途中給水所があるが、スピードを上げて行く上では不要だった。水を取るためわざわざ遠回りはせず、ショートカットを心掛けた。

 一旦下って16キロ地点。あと残りはおよそ5キロ。上りばかりのこの1キロは、3分57秒。トータル1時間01分39秒。残り5キロを18分20秒程で目標の20分は切れる。

 岩堂山頂上で順位を教えてくれる人がいた。105位との事だった。あと10人ほど抜けば、間違い無く100位以内に入れるだろうと予想。目標を10人ほど前のランナーに置いた。

 残り4キロの松輪付近に給水所。ここで水を取ってひと息入れる。前にランナーがいないと水も取り易い。今回のレースの給水は全てでうまくいった。

 前を行くランナーも少しずつとらえる。上り坂のところではごぼう抜きもできた。前から脱落して落ちて行く人もいる。何とか10人くらいは抜けた様であった。

 残りも3キロほどになると、最後の坂道である。多少のうねりはあるものの、どんどん下っている。上り坂ほど走り方のうまくない下り坂では、たまに後ろからランナーの足音が聞こえてくる。やはり下り坂では、皆速いせいか、なかなか距離は縮まない。平坦地に行ってから有利な様に、離されない様にと頑張る。

 このあたりではほぼ目一杯の調子。これ以上はもはやダメ、というところまで追い込んだ。時計の方も気にしている余裕は無い。役場下に出たのが何分であるかなども全く分からない。

 海岸線に出て、後ろから追い付いて来たランナーが来た。これ以上順位を落とすわけには行かず--いつもであったらこれほどまで追い込まず抜きたい人には抜かせていったであろう--必死で付いて行く。ひとりに抜かれたら別のひとりを抜き返して行く。何しろ順位は落とさなかった。

 最後のカーブを右に曲がるとゴールまでほぼ一直線。しかしながら、ゴール直前で更に右に折れているので、残念ながらゴール地点は見えない。だからとてもゴールが遠く感じる。どこがゴールだか分からない。その分からない中を何しろダッシュで駆け抜けて行く。周りのランナーとのマッチレースと言ったところであった。たぶんラストの1キロは3分30秒を切って走りきったであろう。何しろ最も辛いところであった。

 ほんとの最後のカーブを右に折れて、あとゴールまで100m。抜きつ抜かれつのデッドヒート。ひとりかわしてダッシュ、ダッシュ、ダッシュ、ラストスパート。ゴールイン!!。勢いが付いていて、止まるのに暫く掛かった。まだ時計は19分台を示していた。三浦ベストレコードの樹立、そして100位以内おめでとう、ごくろうさま。

(No.106)


  
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