第16回河口湖日刊スポーツマラソン

1991年11月24日(日) 晴れ
種目:一般男子35歳~44歳 42.195Km
記録:2時間55分49秒
順位:48位/2302人 総合307位/8536人

   
0Km0:30
5Km21:0120:31
10Km41:2220:20
15Km1:01:3520:12
20Km1:21:3119:56
25Km1:41:5520:24
30Km2:02:4220:46
35Km2:23:5521:12
38.2Km2:39:2315:28
39.2Km2:43:414:17
42.2Km2:55:4912:08


 今年の河口湖は記録狙いでいく事にした。毎年同じ様に3時間ぎりぎりで走るのではなく、「記録にチャレンジしていく方が、レースも練習もやりがいがある」練習中にそう思った。サブ3も何回も経験しているわけだし、記録にこだわらず、3時間ぎりぎりで行くよりも、記録を狙って失敗したら、それはそれで良いのではないか、と思った。今回はキロ4分、2時間50分を出したいと思った。悪くても50分台前半で走りたいと思った。

 今年も例年どおり前日は山中湖の一ノ橋荘。朝10時に辻堂駅に集合、一路河口湖へと向かった。連休ということもあり、途中やや混雑したが、1時過ぎには河口湖の受付会場に到着した。会場は例年どおりの賑わいであった。PUMAのサービスコーナーにはトライアスリートの宮塚も顔を見せ、サイン会なども開いて賑わっていた。その後遅い昼食をとり山中湖へと戻った。夜は翌日の準備を済ませ8時半には床についた。朝は3時半の起床の予定である。

 目覚まし時計は3時25分頃鳴った。ぐっすりと7時間ほど寝た。まだ外は真っ暗、それほど寒くはない様だった。昨晩用意して貰ったおにぎりを食べ、河口湖へと出発する。4時半を少し過ぎていた。夜中に多少雨が降った様だが、空には星が光り輝いている。月もくっきり浮かび上がっていた。いつもの河口湖南中学校へと向かう。5時を回った頃到着。暫く休憩し会場へと向かう。

 河口湖もあまり寒くはない。コンディションは上々といったところだろうか。今年はスタートとゴールが1キロほど離れ、スタートは大池公園、そしてゴールは船津駐車場という事になっていた。また周回方法も初めに湖を2周し、それから大橋を通過して戻って来て3周という様になった。これについては皆いろいろと意見がある様だった。私は特に問題は無い様に思えた。ただし、スタート地点が狭い事だけが気になっていた。

 河口湖周回はどこも道が狭いだけに、これについてはいつもなかなか難しい。私は荷物をスタート地点の大池公園に置き、ウォームアップがてら着替えをゴール地点まで持って行く事にした。結果的にはこれがいちばん良い方法の様だった。ただし、洗濯物が倍になってしまった。

 大池公園で暫くのんびりし、6時少し前に船津駐車場へと向かった。荷物を置き、再びウォーミングアップをしながら戻って来た。軽めのジョグと十分なストレッチを行った。アップは6時半頃には切り上げ、素早く着替えた。今年は暖かいため、着替えた後も楽であった。

 スタート地点へは7時頃には既に並んでいた。他にもかなりの人数が集まっていた。陸連登録者の列の真ん中あたりにもぐり込む。かなり前方にいたつもりだったが、それでもスタートしてからは前にかなりの人数がいる様だった。思う様なスタートも切れなかった。

 7時15分頃から簡単な開会式。昨年の上位入賞者が宣誓を行う。上空にはヘリコプターも飛び、大会を祝している。定刻7時30分、大会会長のピストルの合図でスタートが切られた。「一斉にスタート」という訳にはいかなかった。ゆっくりと押し合いへし合いの末スタートする。河口湖ホテルの前に出てマラソンのスタートが切られた。思う様に走れないが、人をかき分けながら走る様に努力。

 私がスタートラインを切ったのはスタートの後、約30秒。後で聞いたところ、ランナーの最後尾がスタートラインを越えたのは、スタートが切られておよそ8分後の様だった。なかなか思う様に進めず、暫く苦労する。周りにランナーが多く、自分のペース--キロ4分ペース--というものがつかめない。とりあえず周りにペースを合わせ、キロ4分になる様に調整する。

 今回は今までとコースが変更になり、距離のポイントが分からない。従ってとりあえず5キロ地点まで行ってみないと、どんな調子なのだか分からない。その5キロは21分01秒。最初のロスタイムとスローペースを考え合わせ、ほぼ4分ペースで来たと考えられそうであった。とりあえずひと安心。次からほぼ4分ペースで走れる様にする。

 コース変更により測定しなおした時の数字が路上に1キロ毎に書かれていた。5キロを過ぎてからはそれを頼りに1キロ毎のラップをチェックして行った。4分ペースで走ろうと思うのだが、どうも4分を少しずつオーバーしてしまっている様である。ほぼキロ4分5秒前後で走っている様であった。

 10キロまでの5キロは20分20秒、15キロまでは20分12秒。5キロを過ぎてしまえば自分のペースで思う様に走れるわけであるから、キロ4分ペースを超えてしまっているのは、やはりまだ遅いという事になる訳である。やはりキロ4分、5キロ20分ちょうどか切るくらいのタイムでなければならないだろう。これがこれからの課題となるか…。

 給水所、河口湖遊園を過ぎると、鉄人クラブの定宿となっている「秀水」。この前に奈良島氏他3名ほどがエイドを構えている。こちらから姿を見つけ近寄って行く。水を一杯貰う。

 15キロを過ぎ、20キロまでの5キロは、スタート地点まで戻って来て応援も多かったせいか、初めて20分を切り、19分56秒というタイムが出た。いつもこれくらいのタイムが出せれば良いのだが…。20キロはゴール先のトンネルを越えた辺りであった様だ。一周目を終え、大橋を過ぎた辺りからだいぶ息が上がってきていた。また何故か分からないが、体中がかちかちになってしまった様で、あちこち凝ってしようがなかった。結局ゴールするまで直らなかった。2週間前の横浜マラソンの疲れが残っていたのだろうか、と思った。

 またその横浜のときに左足裏にかなり大きなまめができたのだが、今回も20キロを過ぎた辺りから同じ部分が少々痛み出した。25キロを過ぎると完全にまめができ始めた様だった。25キロは1時間41分55秒、20分24秒。その手前の中間点では定かではないが、1時間25分程度だったと記憶している。

 疲れが出始めたためか、ここでペースが落ち始めた様である。しかし大幅なペースダウンというわけではない。何とか20分台前半は維持している。今までよく憶えている大石小学校は、30キロ地点のあるところだが、今年は25~30キロの中間あたりになる。チェックポイントにならなくなった。

 大石小学校を過ぎ、うの島が見えてくると、正面に富士山が見え、景色がとても良い。しかし体がとても重く感じられ、景色どころではなかった。またペースもずいぶん落ちてきた様に感じられ、景色どころではなかった。3時間などとても無理ではないか、などとずいぶん弱気になってしまっていた。だが実際のところ、この辺りではまだ殆んどペースは落ちていない様だった。何とか4分10秒を切って走っていた様である。

 そのままのペースで30キロは2時間02分42秒、20分46秒であった。ラップはずいぶん落ちたと感じた。スプリットも目標の2時間からかなりオーバーしてしまった。しかしこのタイムも、今までからすると、同じか少し良い程度のタイムである。この先の給水所ではたまらず、止まってゆっくりと水を補給してしまった。また再び走り出す。

 この辺まで来ると、まだ一周目を歩いているランナー(?)に時折り出くわす。30キロを過ぎると湖の西側に来て日陰で寒くなるが、長袖のためその寒さもあまり感じなかった。また、今年はやや風が強かったが、向かい風は仕方ないものの、寒いとは殆んど思わなかった。

 向かい風は疲れた体にはずいぶんきつかった。30キロ手前辺りでは山から吹き降ろしてくる風が辛かった。小海三差路を過ぎると、再び景色も開け、いつもの河口湖遊園の給水所でまた水を一杯。そろそろ35キロ地点、体は辛いもののペースはあまり変わっていない。残り7キロになると何とか先が見えてくる。

 その先に「秀水」、鉄人クラブのエイドで勇気付けられる。大橋の下を通過し、大池公園駐車場を抜けると、あと残りは5キロ。ラストと思い、ペースを上げる(と思う)。後ろを見ると大橋を渡ってくるランナーがちらほらと見える。タイムはまだ2時間35分くらい。この辺で戻ってくれば十分に入賞できる順位である。スピードもまだまだあり、様々なランナーでごった返すスタート付近をあっという間に通り抜けて行く。

 船津駐車場まで行くと、応援もだいぶ盛り上がっている。左へ入ってゴールに向かうランナーはまだそれほどいない。ゴールを左手に見ながら再び街中を通り抜ける。誰かが私の名前を呼んでいる様な気がした。振り返ると堀内の奥さんが大きな体で必死に応援してくれていた。残りは1周、およそ4.5キロ。

 ここまでだいぶバテてきたものの、ガス欠にはならない様だった。ゴール地点とスタート地点に補給食を置いた。ゴール付近には1周目のためにオンザゴー1個とバナナ1本。そしてスタート地点には2周目-残り5.5キロのためにオンザゴーを1個置いた。置いておいても特に問題は無かった。あめなどを携帯しなくても平気だった。「オンザゴー」はなかなかできが良い。

 トンネルを越えたところで残り4キロ、2時間39分。あと残りは遅くとも20分。問題なく3時間はクリアできる。給水所の手前辺りで残り3キロ、2時間43分。そして次のトンネルを越えたところに残り2キロの看板。あまりにも早く出てきたので時計を見るとまだ2分少々。どうやら場所が違うらしい。タイムは取らなかった。あとは、大橋を渡り始めて残り2キロといったところだった。

 大橋に向かう手前で後ろから大声で叫びながら走って来る奴がいる。だいたい想像が付いた。我が鉄人クラブの菅野であった。私よりスピードのある彼にしてはやや遅いと言えるタイムである。大橋まで行ったらあっと言う間に見えなくなってしまった。

 昨年まで難なく上っていた大橋も最後に走ると結構きつい上りと感じた。大橋の料金所を通過しすぐ左折。3回目のスタート地点が見えてきた。これから3回目を回るという人達をかわして行く。あと残りは1キロ。もう疲労は絶頂にあっただろう。左足のまめをかばいながら、しっかりとした足どりでゴールへと向かう。

 ちょうど駐車場入口で55分を知らせるアラームが鳴った。遂に今年も55分は切る事ができなかった。55分台は出せるだろうか…。最善の努力を払いゴールへと向かう。ゴールの時計はまだ55分台。40秒台からそろそろ50秒台になろうというところ。思わず出てしまったガッツポーズでゴールイン。既に体は疲労困ぱい。目標はかなり下回ったが、とりあえず自己新記録にてゴールインであった。

 それ程の筋肉痛は無かった。また十分に補給をしたのでガス欠も無かった。足の裏のまめがとても痛かった。ゴール先の駐車場では各種サービスがあった。ホットカルピスがとても美味しく5杯ほど。その他ラーメン、おしるこなど毎年たくさんのサービス。これもゴール後の楽しみのひとつ。

 他にゴールしたのは、堀内、西山、羽生、佐藤智、横溝、藤浪という順であった。佐藤善、田中、竹内は残念ながら途中リタイアであった。

 その後は皆伊東の大東館へと向かった。温泉で疲労を取り、失った水分をビールで十分補充しました。いつも楽しい河口湖マラソンツアーとなりました。

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 このレースでまめのできたスカイロード90は、ミズノのお客様相談センターに送った。調査するという事で、代品を送ってくれるという事になった。(12月2日)

(No.116)


  
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