第1回かすみがうらマラソン
1991年1月20日(日) 晴れ
種目:フルマラソン 一般男子35歳~50歳
記録:2時間57分51秒 43位
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5Km | 20:31 | 20:31 |
10Km | 40:43 | 20:11 |
15Km | 1:00:47 | 20:03 |
20Km | 1:21:00 | 20:13 |
21.1Km | | | 1:25:00 |
25Km | 1:41:30 | 20:30 |
30Km | 2:02:28 | 20:57 |
35Km | 2:24:18 | 21:49 |
40Km | 2:47:27 | 23:09 |
42.2Km | 2:57:51 | 10:24 | 1:32:51 |
上野8時、スーパーひたち5号は土浦に向け出発した。朝5時起床。久しぶりにのんびりと準備した。6時15分のバスで大船へ。6時47分発の東京行きに乗る。土浦には8時50分に到着。会場までは歩いて5分。駅からすぐそばの川口総合運動公園が、第1回かすみがうらマラソンの会場である。9時頃到着、既にかなりの人達が集まってきていた。受付にも行列ができていた。河口湖と同じ富士通のコンピュータシステムである。新聞社は朝日と日刊スポーツ。すぐに受付は済み、準備に取り掛かる。記念品はシューズバッグ、Tシャツは無かった。
前日までのカーボローディングはまずまずの仕上がりであった。ウォーミングアップは10時少し前から陸上競技場内で行う。十分に汗を流した。日差しがあるので、上に着ているとそれほど寒くはないが、風は冷たかった。20分にはアップを切り上げ、着替える。ランシャツ、パンツだけで手袋は要らなかった。
スタート地点は競技場横の道路。道幅も広く、スタートはそれほど混乱は無さそうである。スタート順は招待、陸連と続き、3時間以内とある。そのいちばん前に並ぶ。10分ほどスタート地点で待ったが、寒くはなかった。11時ちょうど、定刻スタート。スタート合図は大会会長の土浦市長。この大会は市制50周年の記念大会という事である。混乱無く、ゆっくりとスタートする。道幅も広いため全く問題ない。競技場横を通過して、市街地へと出て行く。
応援は有名な大会とまではいかないが、初マラソンという事あるのか、どこに行っても家並みのあるところでは、必ず応援してくれる。嬉しい限りである。またところどころにあった私設のエイドステーションにも助けられた。またこの大会では、完全な交通規制が敷かれ、コース上は全て通行止めになっており、安心して走る事ができた。これが今まで私の参加したマラソンとは違っている様である。これは大変な事である。
このコースは陸連公認という事であり、距離は正確に測られている様であった。1キロ毎に道路の左側にキロ表示がなされていた。これも走る上で、ペース配分やタイムの確認に大きく影響した。25キロまではきっちりとキロ4分ペースを守る事ができた。気になったところでは、コースの路面が一部で悪かったところがあった。また湖畔コースになってから道路がだいぶ細くなり、またカーブもやや多かったところがあった。
市街地に出ても先頭はまだ100~200mほど先によく見えていた。それほど目立って速い人はいないのかもしれない。このコースはアップダウンはあまり無く、──河口湖はアップダウンが無さ過ぎる──後半は全くのフラットとの事であった。その分前半にいくつかの上り下りがある様だった。最初の坂は、常磐線の陸橋。5mほど上り、下り。こんなところはどういう事もなかった。その先にだいぶ長い上り坂が待っていた。500m上りが続いていたか…。これも20mほど上っていた。この辺はまだまだ余裕、難なく通過する。坂を上りきった辺りから目の前に今回女性で優勝した井出さんが見えてきていた。とても49歳には見えなかった。
その先、少し下りながら5キロ地点、20分30秒。もう少しペースを上げた方がいいなと思う。正面にコカコーラの工場が見え、そこを右折、やや広い道路に出る。その先再び常磐線の陸橋、下りきった辺りが8キロ地点。左側の1キロ毎の表示を気にしながら走るようにして、ほぼキロ4分になる。だいたい4分2秒から3秒程度であった様だ。
10マイルのコースとはその辺りでお別れ。10マイルは右折して元へと戻って行く。フルはそこをまっすぐ進む。応援もまばらだが、旗を振って応援してくれる。10キロは40分43秒、この5キロは20分11秒。いいタイムであり順調に進む。
10キロを過ぎた辺りからは特に変わったところは無し。単調なレースが続く。しかしペースがはっきりとしているので、単調すぎて困る事は無かった。この辺りで後ろから勝倉が追い付いて来た。調子が良さそうな走りであった。15キロポイントは1時間00分47秒。この5キロは20分13秒。これもなかなかのペースである。この辺からは道路がやや狭くなり、また細かなカーブが多く続く様になった。コース取りとしてはなるべくインコースを走る様に努力した。
20キロは1時間21分00秒、この5キロは20分13秒。快調そのものであるが、やや速すぎるかななどとも考えていた。1キロほど先の中間点では、時計は1時間25分を示していた。河口湖と同じ様に、前半後半とも同じペースで行ければ、2時間50分まで出せるタイムである。目の前にはまだできたばかりの様なきれいなお城が見えてきた。「出島城」というのだそうである。
その先を右へヘアピンカーブ。この辺りから道路は急に狭くなってしまった。そして坂を一気に駆け下りる。そこからは多少のアップダウンはあったものの、ほとんどまっ平ら、という状況であった。25キロは1時間41分30秒、ラップは20分30秒。下り坂をおりた辺りで2キロ、そこで8分程度のタイムであったので、その後ややペースは落ちたのかもしれない。25キロを過ぎた辺りからは、更にペースが落ちていた様である。頭がジーンとしびれる様な感じになり、息も少し荒くなってきた。
30キロ手前ではずっと先行していたのだが、ついに女子の井出雅子さんに追い付かれてしまった。そのまま30キロ過ぎまで並走、30キロは2時間02分28秒。ラップは20分57秒。残りは12キロ。あと1時間ほどでゴールに達する距離だが、よく考えると、まだあと3分の1残っているわけである。かすみがうら湖畔の道路はだいぶ狭くなっており、あまり走り易いコースとは言えなくなった。しかし民家が点々と続き、応援もずっと続いている。とても励みになった。
残り5キロ地点からは、1キロ毎に距離表示されていた。第1回の大会としては、他の大会を十分に調べ、良いところは取り入れ、ランナーにとって良い大会になる様努力している様だった。残り10キロ辺りでは、あと10キロ走れるだろうかという不安はかなりあった。しかし何とか残り5キロまで来て、残り5キロもペースが上がらないにしても、3時間は切る事ができそうだった。ペースはほぼ4分30秒~50秒といったところである。
40キロ地点は2時間47分27秒。この5キロは23分09秒も掛かってしまった。残り1キロ地点を過ぎると、やっと元の街の中へ出て来た。それまで田んぼの中を走っていたのが、急に市街地になってしまった。何しろゴールに近付いて来たという実感がした。私の横を車が通り抜けて行く。最後は残っている力を振り絞り走りきる。
競技場へ入るとすぐ目の前にゴールが見えてきた。遠回りさせられずに済み助かった。最後、笑顔でゴールしたいと思っていたが、笑ってゴールできるほどのタイムでもないので、最後まで頑張った。今までの歴代2位の57分台に何とか入りそうだった。ゴールタイムは、2時間57分51秒。記録はすぐにコンピュータで読み取られ、集計されていた。年代別43位。人数からすると、まあ速い方であろうか。今回の参加者は割合にのんびりと走る人が多い様であった。
一生懸命頑張り、準備をしてきたレースにしては、あまりパッとせず、疲れてしまったレースの様であった。帰りもまた特急に乗り、のんびりと帰って来る事ができた。近いせいか、あまり特急で帰る人はいない様でした。お疲れ様。
(No.102)
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