第24回青梅報知マラソン

1990年2月18日(日) 晴れ
種目:30Km
記録:2時間04分50秒
順位:総合681位

 0Km 1:40 1:40 1:40    
1Km6:124:3116Km1:06:103:51
2Km10:184:0517Km1:10:003:49
3Km14:244:0518Km1:13:543:54
4Km18:374:1219Km1:17:453:50
5Km22:343:5720:5420Km1:21:433:5819:24
6Km26:374:0321Km1:25:413:58
7Km--:----:--22Km1:29:524:10
8Km34:347:5623Km1:33:564:03
9Km38:243:4924Km1:37:584:01
10Km42:193:5519:4525Km1:42:204:2220:37
11Km46:224:0226Km1:46:374:16
12Km50:264:0427Km1:51:004:23
13Km54:264:0028Km1:55:264:26
14Km58:223:5529Km1:59:544:28
15Km1:02:193:5720:0030Km2:04:504:5622:30


 6時には起床。大船、7時23分の電車で待ち合わせ。7時発のバスに乗って団地を出発。昨日までのカーボローディングでエネルギーはいっぱい。朝は少し軽めに、ごはん1杯と餅2個。しかし、と言いつつもスタートが12時のため、お弁当を持って、10時前には食べるようにする。

 大船~川崎、南武線で立川までおよそ1時間。立川から青梅線に乗って30分程で河辺駅に到着。立川からはランナーでいっぱい。少しばかりハイカーも居る。川崎は8時発。立川は9時頃の電車に乗る。河辺には9時半。受付を済ませて、10時前には青梅総合体育館に着いた。何しろ人でいっぱい。河辺駅も体育館も人だらけ。体育館前の庭も人でいっぱいである。

 体育館でひと休み。軽く食事を取りレースの準備も進める。10時半頃からトイレに行きがてら、ウォーミングアップを始める。11時を過ぎてもまだ10キロのランナーが帰って来る。その中で十分にウォームアップをする。

 気候は暖かく、レースコンディションとしては最高の部類だろう。かえって、暑いくらいである。11時20分になり、戻って来ると体育館内は既にスタートに向かう人達で混み始めていた。少し焦るがまだまだ早過ぎる様だ。40分頃にスタート地点へと向かう。体中にサロメチールを十分に塗る。

 スタート地点にはもう人であふれていた。今年は与えられたスタート地点から出発するつもりでいた。ゼッケンは「3698」。私の前におよそ3,600人。1時間45分の申し込みでこのゼッケンであった。殆んどの人がまともなタイムは申告していない様である。とりあえず仕方がない。青梅マラソンを走るランナーの良識を疑ってしまう。私もその内のひとりだろうか。与えられたポジションで走り始めようと思う。

 頭上では新聞社のヘリコプターが飛び交いうるさい。スタートは12時ちょうど。スタート地点はおよそ300mほど先。何となくスタートの合図が鳴った様な気がして、とりあえずスタートボタンを押す。動き始めるのに30秒ほど掛かっただろうか。そして私が前のランナーをかき分けながら努力して進み、やっとスタートラインを通過したのは、およそ2分が経過していた。周りは人でいっぱい。何度走ってもこの状態は変わらないであろう。青梅では仕方が無いのかもしれない。

 左端を走り、なるべく前をかき分け、少しでも速くというつもりで走る。暫くは同じ様な状態が続いた。1キロ地点などはあっという間に通り過ぎた様な気がした。時計を見ると4分31秒、5分くらいは掛かると思っていたが、割り合いに速い方なので少し安心。この先何とかなりそうな気がした。周りに人が多くいるため、どうも1キロ毎の表示があっという間に来てしまう様な気がしてならなかった。なるべく左端を走り、抜いて行く様に努力する。

 5キロ地点は22分34秒。最初のロスタイムと1キロまでのスローペースを考えれば、なかなか良いタイムの様だ。これならばこの先十分に挽回できるだろうなどと思う。青梅神代太鼓は5キロ手前だったろうか…(5キロ地点より少し先、日向和田駅先)不明だが演奏を聞く毎に元気になる。

 往路はだいたいそんな様な事で、とりあえず前半のロスをなるべく挽回する様に、というつもりで飛ばしたつもり。しかし結果的には、5キロ~15キロまでの10キロは、それ程の結果は出ず、ほぼ4分ペースというタイムに終わった様だ。

 折り返しはおよそ14.5キロ地点。10キロを過ぎ、何回か急な坂を上ったところにある。タイムは設置されたシチズンのデジタル時計で、1時間00分40秒ほどを指していた様に思う。前半のロスタイムからすれば、かなりのスピードで追い上げてきた様だ。また、後半の下り坂を考え合わせると、このまま行けば、何とか2時間を切るくらいのタイムで行くのではないか、などと調子の良い事を考えていた。ただそのためには、折り返してからはぐんぐん行かなければならない。そう思い、折り返しを過ぎてからは、ぐいぐいと飛ばして行った。順調に飛ばし、タイムは3分台を維持する事ができた。

 15キロから20キロまでの5キロは19分24秒、まずまずといったところだろうか…。これくらいのタイムで全コースをカバーできれば良かったのだろうが…。

 佐藤(善)とは16キロ地点あたり(往路では13キロ地点あたり)ですれ違った様だ。むこうから声を掛けてきた。すれ違うランナーがたくさんいるので、いちいち見ていると疲れてしまう。少しうつむき加減に、すれ違うランナーは見ない様にして走った。

 足の方は往路13キロ地点辺りから次第に痛くなってきていた。何となく左足、親指辺りにまめができ始めた様だった。しかしまめができたぐらいで頑張らないわけにはいかない。我慢しながら走る。ターサーを洗ったままの状態で、そのまま履いて走ってしまったのが原因ではないかと思う。

 3分台のラップでカバーできたのは、その先21キロまでだった。あとは徐々にペースが落ちてきてしまった。それでも24キロまでは何とか4分台を少し出るくらいのタイムだったが、25キロ地点辺りになると、もう両足ともずいぶん張ってきてしまった。じっと我慢して走る。何とか4分半のペースといったところか。4分から4分半になると、ペースが落ちたのがよく分かる。情け無くもなってくるが、仕方がない。それくらいのペースになって、もはや2時間を切る事が不可能でありそうだという事が分かった。

 復路で再び神代太鼓の前を通過した時は、そのひたむきに演奏する姿に感激してしまった。また頑張らねば、という思いで走り続ける。残り4キロくらいからは、スタミナ切れでペースは上がらず、何とか完走というペース。ラスト1キロはそれまでぐんぐん抜いてきた選手達にどんどん後ろから抜かれて行ってしまった。

 奥多摩街道から右折をすると、あとゴールまで200m。コーナーに置かれた時計は2時間4分を少し過ぎたところ。ラストのダッシュもきつい。なかなかスピードが上がらずゴールインとなった。左足親指の付け根には大きな血まめができてしまっていた。しっかりした走りをするつもりでいたが、後半の「ばて」により、満足いくものとはならず、もう一歩というところで終わってしまった。

 レース後はまめの他はそれほど筋肉痛も無く、すぐに収まってしまった。お祭りのレースが終わったという感じがした。

(No.80)


  
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