第15回河口湖日刊スポーツマラソン
1990年11月25日(日) 快晴
種目:42.195Km 一般男子35歳~44歳
記録:2時間58分23秒
順位:総合441位/9056人 35歳~44歳89位/2447人
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5Km | 21:35 | 21:35 |
10Km | 21:04 | 42:40 |
15Km | 22:25 | 1:05:06 |
20Km | 19:22 | 1:24:28 |
25Km | 21:10 | 1:45:38 |
30Km | 20:46 | 2:06:25 |
35Km | 21:02 | 2:27:27 |
40Km | 22:51 | 2:50:19 |
41Km | 3:49 | 2:54:09 |
42Km | 4:14 | 2:58:23 |
河口湖の空は青かった。そして私の心も晴れていた。
午前3時山中湖。90年の河口湖は動き出した。4時半、まだ周りは真っ暗な中、河口湖に向かって出発した。場所はいつものところ、河口湖南中学校。ちょうど5時頃到着。今年は暖かいせいか、来ている車もいつもより多かった。
20分ほど仮眠。5時半に会場へと向かう。すぐに準備を始め、ウォーミングアップも始める。今回はトイレ探しに苦労した。あちこちのホテル、みやげ物屋を転々とする。体を暖め汗をかき、7時頃には全ての準備も終了。7時10分、スタート地点へと向かう。前列にはだいぶ人が集まって来ていたが、何とか入り込む。スタート10分程前から開会式が始まる。挨拶、注意事項、選手宣誓という簡単なものである。
7時30分予定どおりスタート。突然ピストルが鳴りスタートが切られる。ちょうどスタート台の方を見ていたので、うまくスタートを切る事ができた。2~300mほどはいつもの調子。途中で上に着ていたTシャツを脱ぐ。
今年のランニングスタイルと言えば、下はナイキのロングタイツ、上はランナーズの長袖Tシャツといった完全な寒さ対策ウェアである。スタートまではその上にTシャツを着て冷えを防ぐ。走り出してからそのTシャツを脱ぎ捨てる。Tシャツを道路端に置きに行く際、足元を注意していなく、危うく側溝に足を踏み外すところであった。偶然にも落ちなくて済んだ様だった。危ないところだった。今でもゾッとしてしまう。怪我をしていたら、2ヶ月間の苦労はあっという間に消えてしまうところであった。くれぐれも注意が必要であると思う。その後は何とか順調に走り出す。
まず最初は大橋のたもとまで。例年だと8分台は出るのだが、今年はちょうど9分。やや遅いと思いながら、大橋をややスピードを上げながら渡る。大橋の料金所を過ぎ、左折したところでは14分台になっていた様である。やや速くなったかなと思いつつ、元のスタート地点まで戻って来た。
5キロでは21分35秒、例年より速い様であった。しかしもう少しスピードアップしなければならないと思いながら、10キロ地点へと向かう。5キロから10キロの間は河口湖大橋を左に見ながら徐々に湖畔から離れて行く。家並みの中のだらだら坂を行き、信号のある三叉路を左へと曲がる。この辺りで8~9キロといったところ。それまでなだらかな上りだったが、ここからは下りとなり、再び湖畔へと向かう。
下り切って暫くして再びだらだら坂を上り切り、右へのカーブを曲がり終わるとやっと10キロ地点に到着。5キロが21分台であったので、この5キロは更に飛ばしたつもりだったのだが、何故かこの5キロも21分04秒。どうもスピードが上がらない。この辺りで、これは長タイツの影響ではないか、などと考え始めた。10キロは42分40秒である。このままではちょっと遅すぎるので、更にスピードアップを図る。
この先はもう殆んど湖沿いのコースである。15キロ辺りまでの区間は日が差し、富士も良く見え、特に素晴らしいコースでもある。道は左右にうねり、トンネルもいくつか通り抜ける。左手には頭に白い雪を被った大きな富士山がでんと構えている。スピードアップしながらそのコースを行く。
15キロは1時間05分06秒。何とこの5キロは22分25秒も掛かってしまった。自分ではスピードアップしたつもりなのに、何故かいちばん悪いスプリットになってしまった。予定よりも5分もオーバーしてしまったのである。何とも出る言葉が無かった。もはやこの先、更にスピードアップするしかなかった。2年間河口湖で3時間を切れないでいる。今年もその続きというわけにはいかない。
15キロ過ぎに西湖への分かれ道の給水所。およそ16キロ地点である。2周目の35キロ地点でもある。この辺りから冷たい日陰になってしまう。もはやのんびりとしている事はできない。ペースを一気に上げていく。三叉路を左に折れ、2周目の残り5キロ地点を過ぎ、20キロは河口湖遊園の給水所の先。いつもの曲がり角に設けられた給水所で水を取り、元気を取り戻して20キロポイントへ。ここまで来ると再び日が差してくる。
まだ殆んど疲れも無く、20キロは1時間24分28秒。さすがにスピードアップしてきたせいか、この5キロは19分22秒。前の5キロと合わせて考えると、どうも15キロポイントが少し先にあった様である。ハーフ地点は手元の時計を見たところでは、何と1時間28分50秒台。もうそろそろ1時間29分になる頃であった。
残り半分も同じタイムで行けば、ゴールは2時間58分。猶予は2分しかない、というところである。本当に大丈夫なのだろうか、と少々不安になる。昨年はこのハーフ地点に鉄人クラブのエイドがあったが、今年はどうだろうか、と思いながら通るが、残念ながら今回は誰もいない様だった。私の周りは年々寂しくなってしまう様な気がする。
ハーフを過ぎた辺りから徐々に腹が減ってくる。次の楽しみはスタート地点の炭酸抜きコーラとバナナである。ゴールそばの繁華街まで行くと、応援がたくさんいる。これでとても張り合いが出てくる。
着替えをした所まで帰ってくると、堀内の奥さんがこちらを見つけてくれた。バナナとコーラを手渡してくれる。助かる。コーラを2口、3口ほど。あまりうまく飲めない。美味しくもなかった。そのあとバナナを1本、十分に時間を掛けながら、丸々1本全部食べてしまった。少々辛かったが、ここで1本全部食べたのが、後々良かったのかもしれない。
水分は殆んどのエイドで取る。水を取るにも少しスピードを落とす程度で取る事ができた。トンネルを越えて橋の入口までの間に25キロポイントがある。この5キロは21分10秒、だいぶ調子も良いようである。この辺りは既に2回通り過ぎている。3回目である。橋を過ぎたところからは2回目である。
初めの頃のイメージが良くなかったからだろうか、25キロ過ぎのだらだら坂が続くところはどうも好きになれない。2周目からは河口湖の一周が約18.5キロあるので、各ポイントがだいたい1.5キロほど先に移る。30キロポイントは10キロポイントのおよそ1.5キロ先。ここはいつもの大石中学校。今まで遅すぎたので、これから先もスピードを緩めるわけにはいかない。
30キロは2時間6分25秒、この5キロは20分46秒。残りはおよそ54分。このタイムだと、やっとぎりぎりというところである。しかし、ちょうどキロ4分30秒のペースだと、ちょうど3時間、ここで初めてほっとした。スタートから15キロは1時間5分、その次の15キロは1時間1分ほど。ここから先、4分30秒というのは十分クリアできるペースである。あとは4分30秒さえきちっと守って行けば良い。ただしそれには一生懸命走らなければならない。
今までじっとこらえてきたペースを、今度は人に遅れないよう、そしてペースが落ちないようにと積極的に進んで行かなければならない。後ろから追い付いて、そして追い越して行く人があれば、なるべくそれに付いて行く様に努めた。
左ひざに痛みが出てきたが、それは今年の波崎の経験から、体重を右に掛ける様にすればクリアできた。その様にすることで、そのうちに左ひざの痛みは消えてしまった。30~35キロはちょうどいちばん景色の良いコースである。そして35キロは給水所もあり、ひと休みできるところである。
30キロでは残り12キロ、およそ1時間であるが、35キロまで来ると残りは7キロ、約30分程の距離になる。いつもであれば、35キロの給水所では止まって水を飲まなければならない程疲れているが、今年はそうではなかった。ちょっと足を止め、水を取り、そしてさっと走り出す事ができた。この5キロのスプリットは21分02秒、ここでもまだ殆どペースダウンはない。残りは32分、キロ5分のペースまでは無いが、だいぶ余裕が出てきた様である。
この辺りではほぼ3時間を切れるという自信がでてきた。残りは7キロ。殆ど同じ様なペースの人に付いて行く。或いは自分でペースを作って行くといったところ。そこから2キロも行くと三叉路、そして残りあと5キロという事になる。ちょうど2時間35分を過ぎた頃だったろうか…。もうキロ5分のペースで十分である。これもやはり10月の520キロという努力があるからだろう。スタミナ切れやばててしまう事も全くない。ここまで来ればあとは残りを確実にクリアして行くだけだ。しかしまだ完全にキロ5分で良いわけではない。少しの余裕しかない。
今年は例年の様に各ポイントでタイムを計るという方法はとらなかった。40キロまで5キロ毎のラップを刻む事にしていた。残り4キロ、3キロと過ぎ、大橋のそばまで来て40キロ地点。残りはあと2キロ、ここで2時間50分19秒。ほぼもう大丈夫だろう。
大橋をくぐり、正面を見ると大きな白い富士。昨年はここで既に力尽きていた。その屈辱から立ち直り、今年は見事によみがえったのである。白い富士を見ながら大いに感激する。受付の駐車場を過ぎ、河口湖ホテルを通過すると、あと1キロ、もうここまで来れば安心、残り6分もある。何とか58分台は出そうである。
駐車場入口まで行くと、何故か誰も走っていない。皆ホテルの前を通過している。昨年は駐車場の中、今年は道路。やや距離が長くなってしまった様な気がした。しかしゴール前の花道、皆に出迎えられ喜びのゴールへと向かう。
道路からゴールのある駐車場へ。そこは完走者、そしてサブスリーを祝う人々であふれていた。私もその人達に出迎えられ、喜びのゴールへと向かう。高石ともやは言っていた。『私のマラソンのレースは42キロである。残りの195mは、皆へのそして私自身への感謝の道である』。私もそのとおりであった。余裕をもって残りの195mを走り抜いた。皆に、そして自分に感謝しながら…。2時間58分23秒、久々のそして待望のサブスリーであった。
(No.98)
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