第29回平塚市実業団対抗駅伝競走
1990年3月11日(日) 晴れ
種目:駅伝第4区 7.0Km
記録:1時間50分50秒 総合8位、4区24分01秒 区間11位
今日は三菱樹脂に入ってからの初めての公式戦、と言うよりも今までで初めてか…。平塚市実業団駅伝。工場に7時15分集合。車で家を6時過ぎに出発、およそ40分ほどで到着。成形の長井(?)さんのサポートで第3中継所へと向かう。
第4区はおよそ18キロ地点、7キロ区間。スタートして1時間ほどで到着するはずである。スタートは8時30分。9時30分中継というつもりで準備を進める。8時20分頃から少しずつウォーミングアップを開始。初めは何となく体が重く感じられた。昨日のバイクが効いたかな、などと不安になる。十分にウォームアップとストレッチを済ませる。
9時に1回目コール、9時10分に2回目のコールがある。その後は中継地点付近にいるよう注意を受ける。9時30分頃にトップランナーが到着、県立高校教員であった。2位は建設会社、3位は横浜ゴム(?)。その他、消防署、不二家などなど。堂道の控えている市役所は7位、そして我が樹脂は何と8位。7位から8位の差は30秒程度あっただろうか(実際は1分と少し)。しかし市役所の4区は堂道、とても追い付けるものではないと、初めから諦めてしまった。とりあえずベストを尽くして走る様に頑張る。ランパン、ランシャツになったら体の重い感じもどこかへ行ってしまった。多く着過ぎていたせいではないだろうか…。
3区村上さんよりたすきを受けスタート。少し走り出してから気が付き、ストップウォッチをスタートする。100m程行ってからだったろうか。すぐに秦野街道へと出る。交通整理がきちんとなされている。自分ひとりのためにわざわざ交通遮断、なかなか気分が良い。この様な事は中学校の駅伝以来か、20年以上も前の事になる。
街道はやはり車が多い、走りにくい。1キロ地点を過ぎたあたりで会社の「連絡車」が追い付いて来る。やはり嬉しい。2キロほど行って金目川を渡る。左折して橋を渡り、山越えへと向かう。徐々に上って行く。中学校だろうか、そこにひとつのピーク、難なくクリア。この辺りから少しペースダウンする。
応援は街の人がところどころに出てくれている。それだけでもずいぶんと励みになる。ピークを過ぎ一度坂を下る。そして今度は東海大グランドのある長いきつい坂。高低差は20~30mほどあるだろうか、長さは200mほど、かなりきつい。やや後ろが気になり始める。坂の中腹まで行ったところで、ふと後ろを見ると、かなり近くまで来ている。100mくらいだったろうか。少しびっくり。坂を上りきるまではじっと我慢。上りきったところで4.5キロほど。あと2.5キロはほぼ下り。思い切り飛ばして行くようにする。途中何回かサポートの車が止まり応援してくれている。元気付けられる。
下り始めてからも調子はそれ程悪くはない。しかしこんなレース、駅伝は初めてである。最初から最後までずっとひとり、何のレースなのかさっぱり分からなくなる。よくひとりでこれだけのスピードで走れるものだと思う。練習ではとてもこんな風にはいかない。下りはそれ程辛くはなかったが、やはり行程がよく分からないせいか、走りのペース配分が難しい様な気がした。
下り始めてから後ろのランナーは少しペースが落ちたのか、上りの時ほどすぐ後ろには付いて来ない様だった。とりあえず安心する。何とか8位は維持できそうだった。どの辺りがラストなのか似た様な景色でよく分からなかった。が、残り150m程の右へカーブする辺りでは、1区を走った磯崎さんが応援してくれていた。最後の力を振り絞ってゴールの吉沢小学校へと向かう。道路から左に折れて校門をくぐる。50m程先に中継地点。走り疲れはっきりと見えない。とりあえずたすきをまっすぐ伸ばし渡そうとする。
がしかし、そこにはランナーは誰も居なかった。既に繰り上げスタートが切られてしまった後だった。いっぺんに気が抜けてしまった。それしか無かった。ほんの10秒前にスタートしたばかりとの事だった。何と気の抜けた結末だった事か…。手元の時計は23分38秒。少し遅くスタートさせた事もあるので、何とか24分を切ったくらいではないかと思った。
7キロ、約24分。キロ当たりおよそ3分30秒といったペース。ひとりで走ったにしてはなかなかのタイムの様でした。同じく4区を走った堂道は自己の持つ記録を更に上回る区間新の19分55秒という素晴らしいタイムで、7位から3位に上がったそうだ。私の区間順位は11位。競り合っていればもう少し順位は上がっただろうに、などという事も思った。もう少し順位が良ければ良かったのだが…。お疲れ様でした。
(No.82)
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