第2回指宿トライアスロン大会

1987年5月17日(日) 曇り時々雨
種目:Swim 1.5Km、Bike 40Km、Run 10Km
記録:2時間26分30秒 総合110位

  
Swim35:30
Bike1:08:00
Run43:00
Total 2:26:30

 指宿は遠いところだった。鹿児島空港からバスで1時間、それから更に列車に揺られて1時間20分。まさに日本の最南端である。

 大会に参加するにあたり準備を始めたのが2月下旬。それからおよそ3ヶ月、やっと指宿まで来ることができた。最初は自転車の輸送の問題。どうやって運んでいいのか見当もつかなかった。診断書、申し込み用の写真、それからいちばん大事な費用の点。なかなか最初からうまくはいかない。それをひとつひとつクリアし、やっと指宿へ出発する日がやってきた。

 朝5時半に起床、6時に朝食を取り、6時20分に家を出発した。羽田空港には8時20分頃到着。ロビーには指宿へ向かうような人達も既に見受けられた。9時30分、トライアスリートを乗せたB747は羽田を飛び立ち、一路鹿児島へ向かった。

 鹿児島空港へ着陸してからが大変だった。西鹿児島駅発12時32分の列車に乗るために駆け足である。まずは西鹿児島駅行きのバス。飛行機から荷物を抱えバス乗り場へ。10分毎に運行されるバスに乗り西鹿児島駅へ向かう。駅に着いたのが12時30分。バスを飛び降り、駅へまっしぐら!! 駅の改札到着が12時32分、列車のベルは既に鳴り終っていた。切符も買わずに列車へ向かう。扉が閉まる寸前、滑り込みセーフ。思わず笑みが浮かぶ。やったぁ!! これでコースの下見ができる、と思った。

 指宿には14時5分到着。指宿に着いたら遅い朝食でも、と思っていたのが、着いた途端にそんな事は忘れてしまった。タクシーに飛び乗りすぐ宿へ向かってしまった。宿に着くなり、御主人がこれからすぐ大会本部へ行くと言うので、またすぐに車に乗り込み、本部へ到着してしまった。非常に慌ただしい到着だった。こういう事をある程度予想していたが、これほどの強行軍だとは思わなかった。全てのタイミングが良すぎたのかもしれない。

 会場では既に多くの人がバイクの調整をしたり組み立てを行っていた。まず本部で当日の受付を行う。次に宅急便で送った自転車を受け取る。この頃からポツリ、ポツリと雨が落ちてくる。芝生のところで箱から自転車を出し組み立てる。特に壊れている様なところは無いので安心する。初めての輸送なのでこれがいちばんの心配事だった。タイヤに空気を入れ、リムの調整を行う。全て組み上がったところでやっとひと段落。時計を見ると14時40分頃。朝5時半に起床してから組み立て終了し、慌ただしかったがやっとホッとする。

 あとはバイク検査場にて車検を受けゼッケンを車体に貼って貰う。これで少しトライアスロンに出場するという気分が出る。何しろ初めての大会である。一度バイクスタンドまで持って行ってみる。自分のスタンドを確かめセットしてみる。フレームが小さいためちょっと入れにくい。が、仕方がない。取り出し方の練習もしておく。この頃には雨の方もかなり降ってきていた。これが終わると次はコースの下見である。次から次へとスケジュールが詰まっている。

 15時からコース下見のバスが出る。早速乗り込み下見に出掛ける。鹿児島トライアスロンクラブの人の説明でバイクコースとランニングコースをバスで回る。ランニングコースの折り返し点は指宿観光ホテルの玄関前であり、南国情緒たっぷりである。下見を終えて各自のスケジュールが終わりになった。あとは5時からの競技説明会を待つだけである。

 下見を終えて、やっと空腹であることを再び思い出した。周辺に食堂も無く、コーヒーを飲んで我慢する。2杯も飲んでしまった。その間に鉄人会の坪井さんとも出会う。何しろお腹がすいていた。朝食の他はカロリーメイト1本だけである。

 5時からホールにて競技説明会が行われた。大会会長の指宿市長、実行委員長の池水氏らが挨拶された。また第1回優勝の竹下氏や中山俊行氏らも出席、挨拶を行った。盛況のうちに説明会も終了した。その後は自転車にて宿の「月見荘」まで戻った。

 宿に着いてからは荷物の整理の後、体ならしの為、軽く2キロ程度のジョグをやり、汗を流してきた。部屋の相棒には横浜の向(むかい)君と八田君が一緒であった。食事は広間で皆さんと一緒に食べた。宿は6,000円で一番安いところの為、食事はあまり期待はしていなかったが、予想以上の食事が出て、おいしく食べられた。

 食後は部屋に戻り翌日の準備である。不安と期待に胸をはずませながら水泳、バイク、ランの用意を済ませた。ゴーグルにはくもり止めを塗った。これが意外に効果的であった。スイムキャップは黄色、ビギナーのコースである。エリートのコースは白であった。ゼッケン等もビギナーは黄色であった。あとはパンツとタオル。

 バイク用にはランパン、ランシャツにゼッケン。あとはサングラス、シューズ、靴下、等々…。結局ランニングスタイルでバイクを通す事にした。ランニング用バッグにはランニングキャップと予備の靴下、それに汗ふき用のタオルを用意。準備万端整い、あとは床についた。10時に床に入ったが、寝付いたのは11時半頃の様だった。雨は夜半中ずっと降り続いた様子であった。

 目が覚めたのは5時過ぎ。夜半から降り続いた雨も朝には上がっていた。しかし日は差してはいなかった。カラッと晴れ上がった天気を期待していたが、それは叶わなかった。いよいよ本番、決戦の日がやってきた。

 朝の仕事を済ませ6時には朝食となる。ちょうど宿の前の砂むし風呂の広場で、日曜毎の朝市が開かれていた。散歩がてらブラブラと出掛ける。美味しそうな果物、野菜等かなり並んでいた。かしわ餅の様なものとびわ、つぼ漬を土産に買った。朝食も立派なものだった。お腹いっぱい食べ、エネルギーを蓄える。朝市で買って来た餅もひとつ食べる。

 朝食を済ませた後は暫くのんびりし、最後のチェックをする。宿を8時頃出発し会場へ向かう。本部には選手の人達はほとんど来ていて、活気に満ちていた。自転車をスタンドに置き、荷物を各指定場所へセットする。それから水泳受付にて受付を行い、ゼッケンを書いてもらう。

 待ちに待ったマジックのゼッケンである。ボランティアの女性に両腕、両足に書いてもらう。少々緊張気味。これでやっとトライアスロンのスタートに並んだ事になる。あとはスタートを待つだけである。

 マイクではエリートコースの集合、スタート時間をアナウンスしている。観客も水泳会場の近くに集まって来ている。9時20分前になると水泳のラストコールが始まった。ひとりひとり神妙な顔をしながらチェックを受け海岸へと向かって行く。鉄人会の坪井氏も見受けられた。スタート10分前にはみんな海岸に出揃いウォーミングアップをしている。

 9時ちょうど、大会会長の市長のピストルの合図と花火が打ち上げられスタートした。波しぶきを上げながら沖へと向かって行く。

 スタートを見てから自分の方の準備を始める。まだまだスタートまで時間は十分にある。ワセリンを体に塗る。これで体温が保てるのか?と少し不安になる。たっぷりと塗る。

 そうしているうちに、ショートコースの水泳のトップが入ってくる。またしばらくの後、エリートコースのトップが入ってくる。20分程度である。中山も第2位で入ってきた。坪井氏もかなり上位の方である。30分は十分に切っている。同じ宿の向君も上がって来たのを確認した。みんな結構元気に上がって来ている。

 殆ど選手が上がって来たところで、ビギナーコースのチェックが始まった。少し緊張しながらチェックを受ける。いよいよスタートである。気温22℃、水温21℃。寒さは感じない。ただ水は冷たかった。水に浸かり海の感じを確かめる。底は見えるがあまり水はきれいではない。昨夜の雨の影響で水温も下がっているのだろう。また再び不安になる。本当に泳ぎきる事ができるのだろうか?

 5分前、みんなで声を上げ気合いを入れる。スタートは列の中央、前から4~5人くらいのところに立つ。みんなだんだん海の中へ入って行く。ウェットスーツを着込んでいる者もいるが、圧倒的に裸の方が多い。しかしウェットがある方が有利のようだ。速ければショートタイプでは不要であろうが、遅い者にはあった方が有利だろう。坪井氏も着用していた。

 10時、ピストルの合図と共にスタート。耳栓をしているのであまり良く聞こえなかった。何しろスタート、一斉に泳ぎ始める。周りに人がたくさんいる。クロールで泳ぎ始めるが思う様に泳げない。水が冷たい。恐怖心で暫くは平泳ぎで泳ぐ。クロールをあれだけ練習してもやはり怖かった。暫くは周りの人を見ながら、クロールも少しずつ入れながら泳いでいく。平泳ぎで全て通すのだったら練習の甲斐が無いと思い、少しずつクロールを多くしていく。そのうちにだいぶ体が慣れてくる。

 200mも行くと周りにも人はいなくなり、泳ぎやすくなり少し安心する。平泳ぎを入れながらコースの確認をし泳いでいく。第1コーナーまで行く。450m。ここを回りやっと3分の1来たと思う。たぶん10分くらいで来ているのだろうと思う。あとはクロールを主に泳ぐ。呼吸は掻きを2回に1回の割である。たまに4回に1回で泳いでみるが、あまりうまくない。必死に泳いでいるという感じだ。余裕が無いのだ。もう少し冷静になれば、練習のつもりで泳げたのだろうが…。

 暫く行くと第2コーナーである。もう1000mも来てしまった。ゴールは正面に見えるのだ!! 途中、ウェットを着た平泳ぎの人に抜かれた様だった。この人とはほぼ同時にゴールした様だった。ちょっとしゃくである。この辺まで来るとだいぶ落ち着いてきた様だった。少しスピードを出してみたりもした。と思っているうちにだんだん海の底が見え始めてくる。もうすぐ陸なのだ。1.5キロを泳ぎ切ったのだと思い、嬉しくなる。底が十分に見えるまで泳ぎ切る。底に手が着くまで、と思うがこらえきれずに立ってしまった。泳ぎ切ったのだ。

 スイムキャップとゴーグルを取り耳栓を外しながら水泳のゴールへと向かう。チェックを受け、周りの人に時間を聞く。「35分」という声が聞こえてきた。シャワーをちょっと浴び、荷物を取って更衣室へ向かう。ほっとする間もなく着替え始める。足の砂を十分にふいて靴下をはき、ランニングシューズを履く。着替えたものを再び袋に詰め出て行く。自然と「行くぞ!!」という掛け声が出る。バナナをひと口、水を1杯取りバイクスタンドへ向かう。

 いよいよ次はバイクのスタートである。ヘルメットをかぶり、自転車をスタンドから出しスタートする。まだ自転車はかなり残っていた。半分、頭がもうろうとする中スタートして行く。完全に落ち着いてはいない。興奮状態にある様だった。自転車に乗り、再び気合いを入れスタートした。

 初めはギヤを軽めにし、回転でスピードを稼ぐ。スタート地点での観客は結構多かった。ボランティアの人達も応援してくれる。練習会の様な感じでスピードを上げ、先行者をどんどん抜いて行く。抜く時には「抜きまーす」とか「抜くぞー!!」などの掛け声を掛けて行くので、自分にも気合いが入る。

 1周目はある程度のコース見のつもりで、しかしスピードを上げて回る。15~16分程度のペースの様だった。メーターが無い為に走った距離もスピードも時間も分からない。陸上競技場前の道路と海岸線の道路は道が広くて走りやすい。ただ沿岸は向かい風があり、ちょっときついコースだった。

 沿岸から左へ折れて細い道の上り坂になる。ここがかなりきついコースだった上りながらのカーブでなかなか大変である。そこを過ぎると左へ直角カーブ。路面は凸凹で走りにくい。但し向かい風は無くなるのでスピードは出ている様だった。陸上競技場へ出るまでずっと同じ様なコースであった。かなり急なカーブもあったが、何とかうまくこなしながら走る。

 先行者を抜いた数は、かなりの数に上ったと思われる。周回コースの為、自分より速いのか、遅いのかが不明である。ただ結果から考えると、バイクで40位くらいまで上がってきた事になる。最終的には、バイクでは抜かれた数は「0」、抜いた数は不明である。バイクで一緒に走っていた人が、私より1周速いという事を聞いて、少し呆れてしまった。水泳が何と、20分で上がったそうである。

 2周を終わり、3周目の海岸付近でのタイムが35分程度であった。そろそろ3周目も終わりという辺りから、股間がしびれてきて、麻痺している様であった。手で触ってみてもあまり感触が無く、心配になってしまった。

 4周目のゴール地点でのタイムが1時間4分程度。前回の時計から30分。4周目の海岸付近ではかなり疲労し、スピードもだいぶ落ちている様だった。先行する人もあまり抜く事はできなかった。ゴール1キロ手前辺りからギヤを軽めにし、次のランに備えた。中山(俊行)もバイクの4周目はやはりきつかったそうである。中山が4周目がきつかったという事であれば、やはり周回コースというのは折り返しよりもきついのであろうか。私も中山と同じ様に、4周目がかなりきつかった。主催する側では周回コースの方がコース設定の面では楽なのであろうが…。

 バイクをゴールし、スタンドへ向かいバイクを置く。ヘルメットを取り、サングラスを外し、汗を軽くふいただけで次のランへと向かった。水を軽く1杯取る。いよいよランである。

 ストップウォッチを「0」に戻し、再びスタートさせる。ランの方にも観客、応援は多い。バイクで先行していた人を前方に見つける。ゴールするまでにはとらえようと思う。最初はやはり、ちょっと脚が重い。脚を慣らすつもりで走って行く。その程度のペースでもランだとずいぶん抜ける。折り返しまでに少なくとも5人程度は抜く。これだけ前に人がいるのだから、やはり水泳はかなり後ろだったのだろうと思われる。

 先行していた人はなかなかとらえることができない。タイムの方は最初の脚の重さからすると5分ペースくらいかなと思ったが、2キロ地点では8分30秒程度であった。これには自分でもびっくりした。なかなか良いペースだと思った。そのペースをだいたい維持して行く。先行するスローペースの人を何人か追い抜く。しかし少し速い人はまだとらえられていない。

 宿の前まで来ると御主人が写真を撮ってくれていた。唯一の上り坂もそれほど苦にはならず上ることができた。折り返しは指宿観光ホテル。ヤシの木が生え、南国の雰囲気たっぷりである。折り返し点では22分30秒程度、39位との事だった。それを聞いて、もはや日本選手権(波崎)には出場は不可能だと思う。それがダメならせめてビギナーだけでも30位以内に入れる様にと思う。

 あと5キロ、45分くらいでゴールできるだろう。30位に入るにはあと9人抜かなければ。ペースを徐々に上げ先行する人をとらえる。良いペースで走れる。6~9キロ地点には観客もあまりなく、ややなかだるみの様なかっこうになる。ただペースは衰えず、確実に先行者をとらえて行く。9キロ地点でついに目標の先行者に追い付き、抜き去る。それで前方にはほとんど先行者は見えなくなった。できればそれで先頭であれば最高の出来なのだろうが…。

 先行の目標もなくなったが、あと500m、ゴール目指して走る。まるで気分はトップのつもりである。コースを右に折れ、陸上競技場へと向かう。ついにゴールである。何かアナウンスがあるのかと思ったが、残念ながら一切無かった。ちょっと拍子抜けである。しかし競技場には自分ひとりである。久しぶりの陸上トラックの感触を味わいながらトップの気分でゴールへと向かう。胸を張り待ちに待ったゴールイン!! ランのタイムは42分20秒、まずまずのできである。とりあえずゴールインだ。今までの過程を思い出しながら、その喜びを味わう。

 ゴール後はいつもの様に次第に空腹感を感じてくる。最後のエイドステーションへ向かい、「アクエリアス」をまず1杯。それからバナナにカロリーメイト。時刻はちょうど昼食時である。バナナは5本はたいらげた。アクエリアスは4杯は確実に飲んだ。それにカロリーメイトは控え目に2本。満腹になり、とても楽しいトライアスロンだった。

 暫くの休憩の後、着替え、完走してくれた体をいたわりストレッチングなどをする。あとは、終わってしまえば、帰りの支度をする他は無い。再び自転車を段ボール箱に詰める。自転車はトラックに乗って帰って来る。私は会場を後にし、一度宿へ帰って来た。5時からの完走パーティまで本部の皆さんと暫くのお別れをする。宿ではのんびりと風呂に入り汗を流す。また指宿名物の砂蒸し風呂にも入る。ただ熱かったという記憶である。しかし、トライアスロンで疲れた体には良かったのかも知れない。さっぱりとした体でパーティに参加できるようになった。

 完走パーティは白水館という立派なホテルで催された。乾杯の後、表彰式、抽選会等が行われ、大いに盛り上がり盛況のうちにお開きになった。指宿で知り合った人達とも再びどこかの大会で会える事を期待して別れた。会場では大会の写真ができ上がっており、銘々買っていった。私も水泳から上がった写真とランの走り始めの写真ができていた。

 宿に帰ってからは昼の疲れからか、早々に床についてしまった。とても楽しく、長い1日であった事をここにしるしておく。

【後日談】
 5月27日に大会本部から記録集が送付されて来た。総合110位 2時間26分という記録である。がく然とする。もう少しまともな記録(順位)ではないかと予想していたのだが…。バイクの記録がいまひとつだった様である。ただ10分くらいの間に60~70人がかたまっている様なので、もう少し記録を伸ばせば、順位も数段上がる事が予想された。この記録をバネにして、今後大いに飛躍したいと心に誓う。
(1987-5-28)

(No.17)


  
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