第3回日米友好厚木マラソン
1987年4月26日(日) 曇りのち雨
種目:21.0975Km
記録:1時間20分29秒 一般男子33位/770人
朝6時10分起床、寝坊をしてしまった。5時30分に目覚ましを掛けたが、再び寝てしまった。不覚。藤沢駅7時15分の待ち合わせだったので、6時45分のバスに乗る為に急ぐ。何とか間に合った。しかしちょっとゆとりが無かった。その為か暫く体がだるかった。
藤沢駅で勝倉、八田君と会う。小田急線で大和まで、その後相鉄線でさがみ野駅まで行く。さがみ野からは基地のスクールバスで基地内まで行く。基地には8時過ぎに到着。受付を済ませてから体育館に場所を取る。まだ空いていた。暫く基地内を散歩したり見学したり。殆ど「アメリカ」である。陸上のトラックや野球場、フットボール場などもある。
ストレッチングやジョグをしながらウォーミングアップをする。体のだるさも次第に取れ、体ができ上がってくる。神奈川マラソンの女子優勝者、中村玲さんも来て、アップをしていた。今回も彼女には勝つ様に、と思う。アップをしている最中に、スタート時刻変更のアナウンスが入り、5キロ、ハーフマラソン共に30分繰り下げるとの事だった。基地連絡用のバスが混んでいるらしかった。少し助かった。10時20分までにアップを切り上げ、スタートの準備をする。体育館の外へ出たらちょうど5キロがスタートしたところだった。
それからスタート地点へ向かう。いちばん先頭へ並ぶ。10時40分スタート。勢い良く飛び出す。暫く行くと先ほどの中村さんが前に見える。彼女に置いて行かれない様にと思いながら走った。1.5キロ地点くらいまでは先頭もまだ見えていた。100mくらい先にいた。無理をしない様に、なるべく付いて行こうと思う。途中何人かに抜かれるが、まだ先は長いと思い無理はしない。中村さんは常に10mくらい先に見えていた。
コースは殆どフラットで非常に走りやすい。途中数ヵ所でこぼこの所があった。5キロ地点で17分30秒くらい。3分30秒のペースである。まずまず。そこで先行していた中村さんを抜き去る。その辺りからは滑走路の外周道路になる。フラットで道も良く走りやすい。芝生も緑もきれいであった。その辺りからは、ほぼ周りの人達がかたまる。その人達と抜きつ、抜かれつというというレース展開になる。
滑走路の反対側まで行って10キロ地点。そこでのタイムは37分30秒程度。5キロから10キロまでの間は少しペースが落ちていた。10キロのちょっと手前で先頭とすれ違う。「ハートブレイク」の人だった。(中川俊輝?)。
折り返し点が中間点になり、ちょうど40分だった。このペースなら1時間20分を切ることができるかな?と思う。少しペースが上がった様な気がした。給水所でボランティアの子供たちが水を手渡してくれるので非常に助かった。
11キロを過ぎる辺りから先行していた人を少しずつ抜いて行くようになる。後ろから抜いて行く人になるべく付いて行く様にした。12~13キロ地点あたりで、神奈川マラソンの時同着になった人を抜き去った。「港湾技研」という胸マークを付けていた。折り返しの時に、「あの人」だと気が付いた。
その後は暫く気が抜けていた…様な気がする。ランナーが一直線になっていて、集団が無く、競っているというのが無かった。そのためだと思う。給水所あたりで水を取った後に数人を一挙に抜く。
15キロ地点でおよそ56分。それを過ぎた辺りでひとりのランナーに抜かれる。素晴しい勢いだった。その勢いで目が覚める。彼に付いて行こうと思った。折り返してからは、自分では素晴らしいスピードで走っている様に思えた。しかしその途中の「空白」部分があったのか、走り終わってみてから考えると、往きと同じ様なスピードだった。ただ、15キロまでの間でもう少し競り合っていれば、1時間20分を切ることができたのではないかと思う。
彼に付いて行き始めてから再び元気が出てきた。なるべく離されない様に頑張って走った。ただ付いて行こうと思って走った。その甲斐あってか、残り2キロ地点くらいでだんだん追い付いて行くのが分かってきた。
右に折れながらの下り坂を過ぎたあたりで射程圏内に入り、ひとつの集団ができた。あとはただラストスパートのつもりで走る。途中少し右わき腹が痛くなったり、足が痛くなったりしたが、何とかもたせた。
前方にマクドナルドの看板が見えてきたときは、あと1キロ程度だと思った。時計を見ると1時間16分~17分。20分を切れるだろうかと思う。またはちょうどかな?という感じだった。最後のカーブを曲がり、鳥居が見えて来て18分30秒くらい。鳥居のあるロータリーのところでちょうど20分であった。そこで完全に先行するランナーをとらえた。最後の体育館前を右に折れてラストスパート。最後のダッシュでゴールイン!! 20分を30秒だけ過ぎていた。
【反省等】
15キロ手前から過ぎたあたりまで、ちょっと意識が薄れた状態で走っていた様だった。集団で走っていて、競っていて、意識をちゃんと持っていれば、20分は切れていたかもしれない。参加人数が少なかった、またレベルがちょっと低かったからだろう。もっとレベルが高かったら、33位にはなれなかったろうが…。
(No.16)
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